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なにもかもが妖しい!ついに沈黙を破った井手健介と母船。

5年ぶりとなるセカンドアルバムは、石原洋によってサウンド・プロデュースされた畢生の問題作。

聴く者すべてが度肝を抜かれるだろうその革新的サウンドは、夢魔の狂気か桃源郷か!

いや、それはまさしく〈2020年の神秘〉!

あのファースト・アルバムはほんの予告にしかすぎなかった。


そしてその2020年最大の問題作にして傑作が、LPレコードとして生まれ変わる。

ファースト・アルバムに続き、名匠・武沢茂(日本コロムビア)によるアナログ・カッティング。

LPレコード化に際し、新たに美しいデザインを施したのは倉茂透。

デカダンスの香りを纏うグラマラスで摩訶不思議なロック・アルバムがさらに輝く最終形態がここに完成。



井手健介と母船 /
『Contact From Exne Kedy And The Poltergeists』LP
-
全9曲収録 / 2nd ALBUM LP
2021年6月9日(水)発売/ P-VINE
販売価格 ¥3,850



SIDE A

1. イエデン Landline Boogie

2. 妖精たち A Place for Fairies

3. ロシアの兵隊さん Russian Soldiers

4. ポルターガイスト Poltergeist

5. 人間になりたい Caveman’s Elegy

SIDE B

1. ささやき女将 Madam the Whisper

2. おてもやん Otemoyan

3. 蒸発 Swinging Lovers (Story of Joe)

4. ぼくの灯台 Lighthouse Keeper



​



井手健介と母船 /
『Contact From Exne Kedy And The Poltergeists』
-
全9曲収録 / 2nd ALBUM CD
2020年4月29日(水)発売/ P-VINE
販売価格 ¥2,600 +税



01. イエデン landline boogie

02. 妖精たち a place for fairies

03. ロシアの兵隊さん russian soldiers

04. ポルターガイスト poltergeist

05. 人間になりたい caveman’s elegy

06. ささやき女将 madam the whisper

07. おてもやん otemoyan

08. 蒸発 swinging lovers (story of joe)

09. ぼくの灯台 lighthouse keeper



 数多くのミュージシャンがその才能を賞賛してやまない、井手健介率いる井手健介と母船が、ファースト・アルバム『井手健介と母船』(2015年)発表以来、約5年ぶりとなる待望久しいセカンド・アルバムをリリース! しかし、届けられたそれは、誰もが予想だにしなかった官能的でセンセーショナルなコンセプト・アルバムとして結実していた。


 クラシック・ギターをベースに、幽玄極まるサイケデリック・サウンドを展開していたファースト・アルバムから一転。本作『Contact From Exne Kedy And The Poltergeists(エクスネ・ケディと騒がしい幽霊からのコンタクト)』は、サウンド・プロデューサーにゆらゆら帝国やOGRE YOU ASSHOLE等を手がけ、23年ぶりのソロアルバム「formula」を発表したばかりの石原洋、レコーディング・エンジニアに中村宗一郎(PEACE MUSIC)を迎え、デカダンスの香りを纏うグラマラスで摩訶不思議なロック・アルバムとして登場した……!


“Exne Kedy And The Poltergeists(エクスネ・ケディ・アンド・ザ・ポルターガイスツ)”なる架空の人物をコンセプトに、井手健介と母船が今、衝撃的変貌を遂げる。

謎の「エクスネ・ケディ」とはいったい何者なのか!? そして、本作録音参加者さえも一聴してにわかに信じ難かったという「まさか!」の連続!



 ゑでゐ鼓雨磨(ゑでぃまぁこん)との共作「ささやき女将」(M6)や、ファースト・アルバム所収の名曲「ロシアの兵隊さん」(M3)の華麗なる再録ヴァージョン。映画『バンコクナイツ』のトリビュート12インチ「おてもやん・イサーン」としてすでにリリースされていた代表曲「おてもやん」(M7)は、ダークサイドに落ちたアナキン・スカイウォーカーが突如ベルリンのクラブに現れたかのような邪悪なオリジナル・ヴァージョンで収録。

妖精たちの海、洞窟、鏡の中、宇宙の果て.....

――全9曲。ここではない場所から届く、ここにはいない者たちからの陽気で哀しい〈コンタクト=接触〉。


 母船の新たな乗組員として、北山ゆう子(ドラムス)とmmm(コーラス、フルート)が加入。さらに、ボーカル・コーラスにシンガーソングライターのmei ehara、キーボーディストとしてキイチビール&ザ・ホーリーティッツの大山亮がゲスト参加。

 新生・井手健介と母船による、超現実的にして想定外、まさに奇妙な大作というべき『Contact From Exne Kedy And The Poltergeists(エクスネ・ケディと騒がしい幽霊からのコンタクト)』がついにそのベールを脱ぐ! 2020年最大の問題作にして傑作が誕生!



REVIEW



坂本慎太郎



ミュージシャン





 プレイボタンを押すといきなり飛び出す、スティーヴ・トゥックとアンディ・フレイザーとシルヴェスターがハイテンションでコラボしたかのような「イエデン」に驚く。T・レックスだ。事前にプロデューサーの石原氏から「次のアルバムはグラムロック」と聞いてはいたが、それにしても、、、ファーストアルバムの井手君とは別人すぎる。まさに地球に落ちてきた井手=エクスネ・ケディである。続く「妖精たち」はさしずめ令和の「サウンド・アンド・ヴィジョン」か。ちょっとゲンズブールの「L’anamour」っぽくもあるが、そう感じるのは僕だけかもしれない。要するに好きだ。

 ファーストアルバムにも収録されていた「ロシアの兵隊さん」はエモーショナルなロックバラードに生まれ変わっていた。ライブ終盤でスポットライトを浴びて、ジョブライアスかフレディ・マーキュリーみたいな衣装で歌い上げるエクスネ・ケディの姿が眼に浮かぶ。ラストの名曲「ぼくの灯台」を聴いて、なんだかよくわからないけどエクスネ・ケディの物語はハッピーエンドだったんだなあと思った。



町田康



小説家/ミュージシャン





軽快でせつない。 むなしいのに明るい。 ノックアウト状態です。



松村正人



編集者/批評家





 聴き終えて最初にやってきたのは意外性だった。頭のてっぺんから爪先まで、私は井手健介のすべてに通じているわけではないが『井手健介と母船』はくりかえし聴き、舞台での井手健介の歌にもふれてきた。そのうえで感じていたのは彼が歌う歌の空気の温度であり、それは微熱に憧れながら、平熱が平均値を下まわることへの、諧謔をふくんだ自己省察をいだく歌い手のたたずまいに由来していた。涼やかだがその底に騒ぐものがある、それが5年ぶりの『エクスネ・ケディと騒がしい幽霊からのコンタクト』で浮上した。


 泥鰌浮いて鯰も居るというて沈む 永田耕衣(句集『悪霊』)  


 母船の浮かぶ水面は明鏡止水のごとくだが光のささないところになにがあるかはしれない。むろん聴き手をファンタジーに誘いこみながら頽落の一歩手前で踵を返すようなイタズラ心とか、『井手健介と母船』にも予兆や気配のようなものはあった、とはいえここまで盛大に開花してしまうと、狂い咲きとさえいいたくなる。

 全9曲、メジャーの曲調が多く総体的な印象は内省より開放性によっている。サウンド面では1970年代初頭のブリティッシュロックの影がチラつくが、プロデュースを担う石原洋の意図はおそらく、記号的援用より人工的な世界像の構築にある。個々の収録曲はいうなれば小世界だが、そこにもとめるのも統一感より多様性であり、飛び石さながら楽曲をわたりあるく井手健介(この場合は「エクスネ・ケディ」というべきだろうか)の身のこなしがアルバムの聴きどころであろう。親交厚いゑでゐ鼓雨磨との共作曲「ささやき女将」、20世紀的な記号が電気の武者震いを催させる「イエデン」、新機軸の歌唱法の「ポルターガイスト」はもとより、mei ehara、mmmら女声と絡む「妖精」や「蒸発」では独特な存在感を発揮し、代表曲「ロシアの兵隊さん」「おてもやん」の新録では歌にひそむ鉱脈をあきらかにする。細部こそ入念に練り上げた音づくりは音盤は呪物であるとのテーゼに則っているからにちがいないが、エクスネ・ケディと騒がしい幽霊からの、この聴くごとに募ってくテレパシーズをはたしてあなたは受信できるか!?



安田謙一



ロック漫筆





 キルゴア・トラウト、江分利満氏、ジギー・スターダスト、そしてエクスネ・ケディ。 作家はもうひとつの自分の姿を借りて、自分の中にある自分、自分より自分な自分をひねり出してきた。 すべての若い野郎どもが等身大を気取る新世紀に、井手健介はややこしい船を漕ぎ出す。

 「ささやき女将」に頭が真っ白になっちまった。 静電気の猛者がブギーする!



樋口泰人



boid主宰/爆音映画祭プロデューサー





 例えばルー・リードなら「ジェーン」も「キャンディ」も「キャロライン」もおそらくニューヨークのどこかに生きているのだろうと、その曲を聞いただれもが想像できる。あるいはデヴィッド・ボウイならトム大佐もジギー・スターダストもボウイに憑依しただれかとして実際にその姿を観ることが出来る。だが井手健介と母船が歌うエクスネ・ケディはどうだろう?もはやそこには具体的な姿もなく似たような人たちがどこかにひっそりと暮らしているわけでもなくただひたすら想像上のどこかのだれかでありしかもいくつものポルターガイストを生んでぼんやりと増殖中である。 もちろん増殖し重なり合ったところでそれによって現実的な力となり熱を生むようなこともなくひたすら不確かであることによってでしかその確かさを示すことが出来ない何ものかであり続ける。例えばかつてデヴィッド・トーマスが架空のアメリカ地図を作りつつ想像上のアメリカを昆虫の視線とも言いたくなるような人間以外の視線によって歌うことによってその入り口のヒントをつつましく騒がしく開いたどこかに確実にあるはずのもうひとつのアメリカの住人たちと言ったらいいか。不確かであるにもかかわらず確かさを装うばかりのわれわれの日常と厚化粧の社会のどこかでその存在の不確かさとしてでしか存在しえないものたちの小さな声を聴くわれわれの小さな想像力をそれは要求する。  今ここはかつてどこかでありいつかどこかでもありうることをそれは歌う。しかしその危うい不確かさこそがわれわれの道標であることを母船の船長は確信しているに違いない。ビタミンCをたっぷり摂取したおてもやんとともにその幽かな希望の道をゆっくりと進んでいきたいと思う。



福田教雄



Sweet Dreams Press





 ある日、アメリカからの友人が不思議そうにレコード店の棚の仕切りを見ていた。その前には「GRAM ROCK」コーナー。彼女が訊いてくる。「日本ってそんなにグラム・パーソンズ人気あるの?」。いやいや、これはグラム・ロックで……、あぁそうか、正しくは「GLAM ROCK」なのか。というわけで、そのふたつのグラム・ロックの間のどこかに井手健介と母船が漂着したらしい。ヨーソロー帆をあげ逆風の中たどりつける場所がある。心に変身願望。それに何よりもおかしい、艶かしいシンフォニック・ロック好き♡



北里彰久



ミュージシャン/Alfred Beach Sandal





 禁じられた集いがここに。スケジュール確認を怠りながらもそれは見事に実行された(彼は事務連絡が苦手である)。

 強いリーダーシップや超現実的な奇跡などなくても、まるで自然現象かのように皆そこに集まった。本当にいつのまにか。彼が作り出す磁場には、いつも「〜せずにはいられない」、"can't help 〜ing"の構文が存在する。否応なく惹きつけられてしまうその不思議な引力の作用は、なんやかんやでこれまでいくつもの素晴らしい瞬間を生み出してきた。それは彼の持つ悪魔的なチャーミングネスだと言ってよい。

 バンドの演奏は妖精の歌声や幽霊のざわめきに、現世の苦々しさは彼岸の享楽に翻訳される。そしてついに彼は自分の名前さえもあちら側へと放り投げてしまった。しかしなんてったって元気が出るアルバムである。怒濤の合格!



ゑでゐ鼓雨磨



ゑでぃまぁこん/ミュージシャン





ワクワクして、笑い転げて、素敵!セクシー!おいおい!かっこいい!と思ってあっという間、最後にはあー面白かった!と、愉快痛快エクスネケディ、聞いてすぐまた聞きたくなる名盤ですね。



夏目知幸



ミュージシャン/シャムキャッツ





朝イチできいた!すげえよかった!!! なんていうか、これすごい褒める意味で言うんだけど、すっごい軽かった。重大なことが何一つとして起こっていないかのような素振り。すげー!超好きなアルバムだった! グラムやるって聞いてどんな感じになるかなと思ったら間にフィンガー5とか挟まってる感じに仕上がってて、さすがーだなーこのバランス感覚は最高だ!と思った!



藤井邦博



ミュージシャン/魚座





井手くん、アルバム発売おめでとうございます。

名盤作っちゃったね。一曲目がマークボランのような気がして「あれ?俺の気のせいかな」と思ってたらロックのアルバムだったので笑いました。聞いてる間ずっと愉快で、「これ作ってる時も楽しかったやろなー」て思った。そして聞いてる間でっかい旅をしているような気分になって爽快でした。

なんか、エクスネケディていう死者の声を聞く事ができる能力を持った男が、ある日その能力がなくなっていることに気付いて、それを取り戻すために何かを探しに旅するみたいな話を浮かべました。ということは回復しようとする話なのかな。勝手なイメージです。mmmも歌ってるよね?いろんな声が聞こえるのが楽しいです。聞かせてくれてありがとう。



原田晃行



ミュージシャン/Hi,how are you?





これはボウイ的に言うと黒星1つ!ブーツィ的に言うと星2つ!堺しぇんしぇえ的に言うと勿論星3つ!ベンジー的に言うと流れ星一個盗んで目の前に差し出された感じなんで、すなわち最高‼️ ロ井手ウッドもローリー井手西もジェリ井手ダマーズも見え隠れしましたのでこれは令和の裏すかんちとして末永く愛聴決定。

運転時逢魔が時のゴールドディスク認定も完了しました。

最後にひとつ『おまえはどこのグラムじゃ!?』



ミヤギフトシ



現代美術作家





 オウィディウスの『変身物語』を読んだり、オンディーヌやイスの街のダユーなど、水にまつわる神話や伝説や、それらを元にしている音楽をいくつか調べたりしていたところでこのアルバムを聴いたら、情景がこんがらがった。

 いくつかの曲に登場する人間や人間でないものが水の周りにいるからだろう。彼らは不器用で、悲しくて、そして優しい。誰かをずっと待ち続けながら「妖精たちに戻っていく」し、触れられない誰かに「アイ・ミス・ユー」と言葉を投げ、でも「ふたりはひとりで/ひとりはみんなで」、「ぼくの灯台はもう光らないけれど」と誰かを慰める。相手との距離を探ったり、探れないほど遠く離れたりしている。続けて聴いていると、物理的、そして精神的に様々な距離の伸び縮みが見えてくる。離れたままのものもあれば、近づいてゆくものもある。向こうにいるのは人間かもしれないし、人間ではないかもしれない。人間や生き物との距離の取り方に今でも毎度苦心している私だけど、それでもまあいいか、と聴いていると思わせてくれる。

 オンディーヌは人間の男に求婚を断られ泣き、でもすぐに笑いながら水へと帰ってゆく(また地上に姿を現すだろう)。欲望に身を任せその結果海に沈められたダユーの街も、いつか再浮上すると伝説は伝える。彼女たちが人間の前から姿を消したのも、相手との距離感を測り損ねたからかもしれない。でも、エクスネ・ケディと騒がしい幽霊がいる世界であれば、きっとオンディーヌやダユーも戻ってこれる……そうして、プレイボタンを押すたびに、想像の中でラヴェルやドビュッシーの音楽に身を任せ漂っていたはずのふたりが、賑やかな音楽に合わせて踊りだすようになった。



松永良平



リズム&ペンシル





 いつだったか忘れたが、神保町試聴室で井手健介と母船のトーク・ライヴみたいなイベントに行った。そのとき、em recordsのオファーで作った「おてもやん」リミックスのMVと銘打って、アース・ウィンド&ファイヤーの「レッツ・グルーヴ」の映像が流された。その映像と「おてもやん」が微妙にシンクロするのがおもしろく、ネットにアップしたらすぐにBAN喰らったという悪ふざけ話だったような。

 新作を聴いて、なぜかその光景を思い出した。あのときぼくは笑ってたけど、あそこにも新作とつながるものがあった気がする。極彩色でスペーシーでミスマッチで。アンバランスでしかないはずのに、ぬけぬけと音楽は生き延びている。そこに井手健介の不思議なしぶとさを感じたのだった。

 まるで井手健介はこの世界に不時着した宇宙の捨て子みたいだ。人が消えた街で、「あれ、なんか人がいないなー。ここはどこ?」と音楽が脳内に直接語りかけてくる。そして、この世のあらゆる場所を無人島にする。たぶん、真の意味での「無人島ディスク」が完成した。



柴崎祐二



音楽ディレクター/ライター





 「次のアルバム、石原さんからキンキラキンの服着てロンドンブーツ履いてグラムロックをやれって言われてるんだよね……」と弱り顔で話してくれた井手健介に対して「いいじゃんいいじゃん」と無責任にはっぱをかけてからはや数年、紆余曲折を経て完成された本作は、当初若干抱いていた露悪的な(スミマセン)好奇心を見事に打ち砕く素晴らしい出来栄えです。思えば井手くんは、フォークシンガー/シンガーソングライターとしてこれまで世間一般に認識されていたにせよ、あくまでフォーク的な意匠を自らの本質に浸し合わせるというより、どこかペルソナ的にそれを選び取っていた感があり、今回はむしろ、そういう性質が前景にせり出してきた成果、ということなのかもしれません。その意味では、非常に「素直」なアルバムでもあると思います。

 それにしても、現実がこんなことになってしまって、アクチュアルな問題と(わかりやすく)対峙する表現以外が無用物のようにされてしまう思潮の中、グラムロック的(もちろんアルバムにはグラム以外の多様な要素がありますが、あえて単純化させてください)フィクション観や美意識といったものは、どういった意義を今我々に伝えてくれるのでしょうか?もしかすると、ある人は、「こんな時にSF的空想に浸っているなんて」と指弾するかもしれないし、ある人は、今この世界において音楽の「差異」を提出することを矮小なスノビズムとしてあげつらうかもしれませんね。けれど、我々には(と、あえて主語を大きくいわせてください)、フィクショナルな現実と、こうした(時に)パルプマガジン的フィクション(創作)から漏れ出てくるリアリティが交わる地帯にこそ、この世が「こうではなかったかもしれない」「こうなっていたかもしれない」という並行的想像力が触発され、「こうなってしまった」この世界の結果にがんじがらめられてしまうのを内側から解きほぐしてくれるある種の冷静さ(それはいわゆる「冷笑」などとは絶対に違う、もっと優しく肩に手を添えてくれるようななにかだと思いたい)を確保してくれると思うのです。

 そういえば、ひたすら家に籠もっているこの間、黒沢清の映画をたくさん観ていて、改めてそこに「世界には絶対に理解し得ないなにかがある」という感覚が強く押印されていることを感じました。不思議なことに、それを感得することでこそ、浸り来る安らぎのようなものがあったのでした……。日々、自分たちが生きていくために、周りの人を想い、不正や不実に怒りながらも、それらの風景の中で裂け目のように見えてくる、カタストロフィへの実存的恐怖/捉えきれないものへ畏怖。それをしっかりつかまえて、できうる限り手なづける(長く付き合っていく)こと。我々がこんな風にパルプマガジンSFの中の登場人物になってしまったような今、キッチュな(だが深刻な)現実とフィクションが侵食しあう今だからこそ、空想的フィクションのもつ現実への逆照射力が我々を明晰に保ってくれる作用があるのではないか、と思っています(例えば、われわれの行動倫理を超えた「非人格的なウィルスの論理」のようなものに思いを馳せることによって、知的安寧を少しでも得られるように……?)。

このアルバムはいわゆる「ポストモダン風」で、コンセプチュアルで、キャンプでキッチュだけれど、というかだからこそ、上述のような思考を次々と促してくれるように思います。だから、そう意味ではすごくシリアスな作品なのかもしれません。グラム・ロック的ペルソナをまとったこのロック・アルバムは、その仮面性がゆえに、時にリアルを実存的に生き抜く強さと放埒さを与えてくれるふうです。今、自己と現実との距離感に戸惑っているみなさんに、この音楽創作物の効能が知らしめられることを願って。



坪光生雄



宗教学者





 人が自らの名を偽り、別の人格を演じる必要に迫られるのはどのようなときか。自分が 何者であるかが特定されると困ったことになるという場合が、まずはそうだろう。リアルを特定され晒されることは、いつの時代に偽名を名乗る者にとっても大きな脅威となりうる。しかしまた別の場合に、人は何か好ましいものに、憧れのあの人になりきってみたいという動機から演技の動作を始めるかもしれない。子どもは想像力にまかせて色々なもの に変身する。かつて私たちは空想のなかで無敵だったことがある。

 自己保存と変身願望。現実の私にまつわる不安と他なるものへの憧れに押し出されて、 私たちは自分ではない自分を身にまとう。

 それなりに親しい付き合いのある友人として言うと、井手さんはいつも身辺に不安を抱えながら、しかし同時にいつも遠い憧れに顔を明るく光らせているような人だ。彼の頭は好きな音楽、映画、思い出、ネコのことでいっぱいで、自分の財布の中身とか、いま何時だとか、その場にいる誰かがちょっとイライラしているとか、そういうことにまではなかなか気が回らないようだ。なぜそうなのかと考えてみると、自身の置かれたしばしば耐え難い状況から何としてでも逃れたいという切迫した欲求もありそうではある。とはいえ、そうした夜逃げのような生々しさの裏返しで維持される夢見心地にしては、井手さんは真剣にうっとりしすぎていると思う。そういうとき彼は、誰もがするように、たんに人生を楽しんでいるだけのように見える。

 今回のアルバムは、不安な日常性をついに完全に抑圧することに成功した(現実に克服 したわけではないだろうが)井手さんの無敵モードである。この曲たちが流れている間、 彼は偉大な宇宙の放浪者でいられる。彼は局外者を演じることで、むしろ祭りの中心に居座る。その周りで踊っているのは妖精、幽霊、いずれにせよ人間以前あるいは以後のものだ。一般に、王と犯罪者は、上か下かの違いこそあれ、マジョリティが構成する社会のボリュームゾーンから外れたところに位置している点で同類であり、互いに置き換わることができる。至高の権力者はたびたび見世物のように処刑されてきた。祝祭が通常の秩序を転倒させるとき、野蛮だったものは一転、崇高なものになる。その点、エクスネ・ケディは最も弱いと同時に最も強く、ばっちり排除されていると同時に世界の中心そのものでもある。首を締めたようなヴォーカルの恐ろしくファニーな響きは、あまりにつらいことの多い人生を通して人が身につけていく絶望的な陽気さに似ている。私たちはここに普遍的な反対の一致のようなものを見る。私たちの世界を外側から眺める聖愚者の観点に立つとき、通常の遠近法は逆立ちさせられている。そこから見えるものは、何もかも奇妙に歪んでおり、こんなにも美しい。

 彼はいっそのこと自分が「人間」ではないと信じることにしたのだと思う。「人の子だってバレないように、赤い血だって知られないように」。素性の明かされるときが、この映画の終わるときである。幽霊のたてる音と交信を試み、妖精たちのささやきと会話をすることは、もう人間のやることではない。そして、たぶん、もしかしたら、詩を書くことも、ギターを弾き歌うことも、時間と金と才能をじゃぶじゃぶ濫費してこれほど愉快な作品を作りあげることも。しかし、今となってはこれらのことを咎める声もあがらないだろう。 光を失い、帰り道の暗さに迷ってしまった人が、別のどこかに漂着することができたというのなら、彼のことを気にかけていた者にとってこれは掛け値なしに良い報せである。



COMPUMA



DJ





グラムロック・ミーツ・変態屈折ファンク&ディスコ(というか個人的にはJIMI TENOR感?)、何とも不思議な無常感が心地よく、シンプルな日本語とメロディがどこか懐かしく優しく切なく突き刺さる。日常の妄想微睡みと非日常の豊かな音楽時間。完成、発売おめでとうございます。



片岡メリヤス



ぬいぐるみ作家





 音楽を超えて分野を超えて総合芸術みたいなアルバムだった。物語や映像や空間まで見えてくる。はじめて聴いた時ずるいなと思ったくらい最高です。



江村幸紀



エム・レコード





 はっぴいえんどもシティー・ポップもアンビエントも細野晴臣もいないが、坂本慎太郎とピチカートのまぼろしはいた。タイ音楽もいる気配がする。あと何か変なのがいる。



制作 /

サウンド・プロデューサー 石原洋

レコーディング・エンジニア 中村宗一郎(PEACE MUSIC)


参加ミュージシャン /

ba - 墓場戯太郎

gt - 清岡秀哉

gt - 羽賀和貴

dr - 北山ゆう子

fl - 山本紗織

key,tr - 大山亮

key - 石坂智子

vo,cho - mmm

vo,cho - mei ehara


衣装制作 - Canako Inoue

ヘアメイクスタイリング/写真撮影 - mei ehara

イラストレーション - 平木元

LPパッケージデザイン - 倉茂透

アナログ・カッティング - 武沢茂 (日本コロムビア)



All Songs Written by Kensuke Ide

(except "madam the whisper" written by Kensuke Ide and Eddie Corman)


/ Additional Musician

Guitarow Hakaba (Bass)

Hideya Kiyooka (Guitar)

Kazutaka Haga (Guitar)

Yuko Kitayama (Drums)

Saori Yamamoto (Flute)

Ryo Oyama (Keybord,Trumpet)

Tomoko Ishizaka (Keybord)

mmm (Vocal, Chorus)

mei ehara (Vocal,Chorus)


Sound Produced by You Ishihara

Recorded and Mixed by Soichiro Nakamura at Peace Music

Mastered by Soichiro Nakamura


Manufacture and distributed by P-VINE, inc

A&R Yoshiaki Ando



Copyright c IDE KENSUKE,

All Rights Reserved.